神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。
世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。
わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
神のみこころを行おうと思う者であれば、だれでも、わたしの語っているこの教が神からのものか、それとも、わたし自身から出たものか、わかるであろう。
これに反して、完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は、聞いて忘れてしまう人ではなくて、実際に行う人である。こういう人は、その行いによって祝福される。
人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく、キリストの僕として心から神の御旨を行い、
神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。
それは、肉における残りの生涯を、もはや人間の欲情によらず、神の御旨によって過ごすためである。